写真と場所の保存として掲載いたします。
目次
写真












看板
新しい方の看板
第一次大戦後、日本は軍備拡張計画を推し進める中、対馬海峡を封鎖する目的で、対馬北端の軍事上要衝のこの地に昭和4年5月より約5ヵ年の歳月を費やし昭和9年3月に豊砲台を完成させました。
この砲台は、大正11年ワシントン海軍軍縮条約の締結により、航空母艦に改造されることとなった『赤城』の四十五口径40.6センチ加農(キャノン)砲一基二門の砲塔砲台を設置したという説のほか、戦艦土佐や戦艦長門のものであるとの説もあります。
この砲は、砲身長18.5メートル、砲身重量は108トンもあり、実用射程距離は30キロメートルにおよびこの地で対馬海峡封鎖の防衛拠点を成していたのです。
古い方の看板
この砲台は戦略上重要な海峡であることから 旧陸軍によって設置され、昭和4年5月に起工し、同9年3月に完成しました。40cm加農砲は、砲身18.50メートル、重量103トンもあり、戦艦長門の主砲と同一であったといわれています。砲塔部のコンクリートの厚さは3.0メートルもあり、砲を操縦する動力は水圧を利用したといわれ、そこに先進的な技術がうかがわれます。実戦に参加することなく「まぼろしの砲台」として、今の姿になりましたが、兵舎、台座、地下室などは当時の面影がしのばれます。
コメント